自己紹介とピン芸人としてのこだわり
Q:まずは自己紹介からお願いします!
いしい蟹親友侍です。ピン芸人です。芸歴は今年で4年目になります。元々はワタナベエンターテインメントのお笑い養成所で最初コンビとして活動していましたが、今は解散してピン芸人になりました。ピンとしての活動は1年半、まもなく2年目になります
Q:ピンになってからネタ作りで意識していることはありますか?
ツッコミがいないので、ウケないネタはとことんウケないですね。記憶から消してしまうほど滑ったネタもあります。特に「文化祭でアパートを作るネタ」は封印しました。ピン芸人ならではのこだわりもあって、「お客さんもコント中に入れる」という、”みんなで作っていく笑い”を軸にしています。これは、これまでウケてきたネタに共通する「気づけばあったルール」なんです。
Q:芸人になろうと思ったきっかけや、養成所に入ったルーツは?
元々、社会人として3年働いたら芸人になろうと思っていました。大学卒業後、営業職として社会人を経験したんですが、1年目の時にワタナベエンターテインメントのオーディションを受けて、「早い方がいい」と言われたので、わずか1年で会社を辞めました。
営業では1個も売れなくて、研修終わって半年くらい売れずに逃げ切った感じです。会社を辞めてすぐワタナベエンターテインメントの養成所に入学しました。養成所を選んだ理由は「唯一ローンを組めたから」です。
Q:お笑いに目覚めたきっかけはありますか?
なんか、面白い人たちと働きたかったんですよ。「自分が面白い」とずっと感じていて、自分より面白い人と働きたいという思いから芸人の道を選びました。
海外で過ごした経験もあり?!幼少期の「いしい蟹親友侍」と自分の武器
Q:シンガポールで6年間過ごされた経験もおありとのことですが、幼少期で印象的なエピソードはありますか?
中学1年生から6年間、親の仕事の都合でシンガポールで過ごしました。「大した出来事じゃないかもしれないんですけど」、アルティメットフリスビーでシンガポール全国1位になった経験があります。この出来事が『人生の転機かもしれない』です。
お笑いも、自分は面白いって思う気持ちが、普通の人生を送っていたら多分どこかで壊されると思うんですけど、それが壊されずに生き切ったから「いけるだろう」って。その自信は今も変わらず、「今もなお、おもろいぞ」と。

Q:“自分の武器”は何でしょうか?
うわあ、難しいっすね。けど説得力があるんで僕。間違ってても説得力を持たせられるんで、はちゃめちゃなことを言っても通っちゃうことでしかね。これは喋り方や、にじみ出る「強気」な雰囲気によるものだと思ってます。
再結成しての今後と自分を一言で!
Q:一度解散されたコンビ「キュウカン鳥」を再結成されたそうですが、どのような経緯で?
実は僕、こう見えて人見知りなんですよ。ピンでいると外のライブで他の芸人と喋る機会が少なく、寂しさを感じていました。
元相方は『地元バカ』で、地元での活動を望んで解散を申し出ました。解散当時、事務所ライブで2位を獲得するほどの絶好調な時期だったので、僕にとっては「しんどかった」です。でも、相方が地元で組んだ仲間とネタ見せを飛ばしてしまい、1年半ほどで復縁した形ですね。
Q:再結成した相方の魅力は?
とにかくいいやつなんですよ。そして「ボケたら大概のツッコミって想定できるじゃないですか。ま、想定してないやつがたまに来るんですよ。「絵だけとか、嘘」とか、一文字のリアクションであんまり想像しないツッコミをするんです」。その独特のツッコミがお気に入りです。
Q:今後のビジョンはありますか?M-1やR-1優勝ではなく…?
もうハワイです、僕は!テレビに出たいというよりも、「ゴルフ番組かハワイ」が一番の目標です。具体的には、ゴルフ専用のミニクーパーを買ってゴルフに行き、海外に滞在して日焼けし、ハワイでロケをするのが理想ですね。
Q:コンビ活動とピン活動、どちらが楽しいですか?
むずいっすね。なんかピンの方がバチバチなんすよ。ピンだと、ネタがウケた時、全てが自分の手柄になる喜びがあるからです。ネタはコンビでもピンでも僕がほとんど書いています。
Q:ご自身を一言で表すと?
面白い、だけです。「多分面白いが核なんすよ、人間の。それなかったら終わってると思います」と断言します。
いしい蟹親友侍のユニークな人生経験と、お笑いへの真っすぐな情熱、そして「ハワイで仕事」という壮大な夢。彼の今後の活躍に、ぜひご期待ください!