2025.03.07

SEVENICリクの軌跡―憧れと努力の先に〜Part1〜


――リクさんが芸能界を⽬指したきっかけは何だったのでしょうか?
親がアイドルグループのファンだったこともあり、幼い頃から家ではライブ映像が流れていました。その影響で、自然と芸能界に憧れを抱き、生まれたときからこの職業に就くことを意識していました。特に、櫻井翔さんのパフォーマンスには大きな衝撃を受けました。『Endless Game』のラストサビ前、カメラがアップになる瞬間を今でも鮮明に覚えています。「うわっ、カッコいい!」と心を奪われたことをきっかけに、芸能界への憧れがより一層強まりました。
また、ライブで櫻井さんが仰った言葉は、今の自分の指針となっています
「◯◯して!◯◯ください!っていうのに応えるのがファンサービスだとしたら、ごめんなさいだけど、俺は出来ていないかもしれない。だけど、その分俺は、一人でも多くのあなたに手を振り、一人でも多くのあなたの顔を見て、一人でも多くのあなたと目を合わせて…一人でも多くの方との思い出を、積み重ねてきたつもりでいます。」
この言葉に感銘を受け、規模や場所に関係なく、今この瞬間を大切にする姿勢を大事にするようになりました。
――そこからどのようにしてオーディションを受けようと思ったのですか?
中学時代に職業の厳しさを実感し、一度は芸能界を諦めました。しかし、高校生の頃、同世代のアーティストが活躍する姿を目にし、再び夢を追いかけることを決意。特に、音楽番組で「2001年生まれ」と紹介されているのを見たときは、強い焦りを感じました。そこからレッスンを重ねるうちに意識が変わり、努力を続ける覚悟が固まりました。原動力となっているのは、母の「マンション買ってな!」という言葉。母子家庭で育ったこともあり、母を楽にさせたい、親孝行したいという思いが、大きな支えになっています。

――オーディションを受けるにあたって、苦労したことはありますか?
高校1年生の時、ワタナベエンターテイメントの1dayオーディションを受けたことをきっかけに、芸能界への道が開かれました。広告でオーディションの存在を知り、挑戦してみようと決意。なんとか合格を果たし、週に一度、神戸から東京へ通う生活が始まりました。17歳で事務所に所属し、普通科の高校に通いながら、学校終わりやアルバイトで夜行バス代を稼ぎ、土日に東京でレッスンを受けるという日々を送っていました。その後、関西事業本部に所属となり、19歳の時には未経験ながらもダンス&ボーカルのスキルを磨くため、『キャレス ボーカル&ダンススクール』に入所しました。当時の活動は主に舞台や役者業が中心で、舞台『丸尾不動産』やYouTubeドラマ『私の卒業』に出演。しかし、コロナ禍の影響で仕事が激減したことをきっかけに、ダンス&ボーカルのレッスンに励むようになり、本格的に現在の道を志すようになりました。

Part2へ続く